恋する乙女
「碇君は見返りを求めてるだけなのかな。」
私は碇君の言ったことを、
素直に信じることができなかった。
私も小さい頃に母を亡くし、今は
父と新しい母とで暮らしている。
「確かに見返りを求めているのかもしれないけど、
でも彼はそれだけの為にしているわけではないわ。」
私は思う。
もし見返りを求めるなら、今の碇君がしていることでは、
いい事なんておきるはずがない。
だって他の人たちは碇君が子猫に御飯を与えてることや、
自分を犠牲にしてまで私に優しくしてくれたという事実を、
碇君が優しいという事実を知っている人はいない。恐らく私ぐらいだと思う。
「碇君、おはよう。」
私は碇君に初めて挨拶をした。
その挨拶を私は今でも覚えている。
「あ、惣流さん、おはよう。」
彼は私に微笑みを浮かべ返事を返す。
でも、違和感を感じるのは何故なのだろう?
彼は普通に惣流さん、おはよう・・・惣流さんってのが変なんだわ。
私は碇君にアスカって呼ぶことを強制することにした。
「ねぇ、碇君。私の事アスカって呼んで。」
男子に下の名前で呼んでというのは、恐らくシンジが初めて。
そして、これからもずっと。
「え、で、でも。何か恥ずかしいよ。」
「ダーメ。アスカって呼ぶの。
私はシンジって呼ぶから。」
碇君、いやシンジは顔を真っ赤に染めた。
私も多分、真っ赤なんだろうな。
だって顔がポカポカしてくるんだもん。
「じゃ、じゃあ、ア、アスカ。」
どもりながら彼は私をアスカって呼んだ。
ふふ、恥ずかしいな。だけど、それ以上に何だか凄く嬉しい。
私は反射的にシンジに抱きついてしまった。
「わぁッ!!」
シンジは何が起きたのか分からないまま、
私のことをただ呆然と見つめていた。
少しの間、私はシンジの胸の中に蹲る。
彼の鼓動が凄いスピードでバクバク鳴っている。
私はシンジに抱きついてしまったんだ。
シンジは咄嗟に抱きついている私を離した。
「シンジ、ご、ごめん。私、そんなつもりじゃ。」
「べ、別にいいよ。謝らなくても」
私達は俯いたまま顔から蒸気を発した。
体中が少し汗ばんで、ヒヤヒヤする。
「おい碇! この裏切り者!」
「キャァァ! 私の碇君に何やってるのよ!」
クラスメートが口々に言いたい放題私達に言う。
私の人気が高いのは知ってたけど、
シンジも意外と人気が高いのは知らなかった。
今、思えばシンジには人を惹きつける力みたいなものがあったのかも。
多分、私の勝手な思い過ごし。気のせいなんだろうけど。
「アスカ・・・。ちょっと来てくれる。」
私の手を掴むと小走りで教室の外へ出た。
私はシンジの後姿を呆然と眺めていた。
数分後。
シンジと私は屋上まで来ていた。
「アスカ。急にどうしたんだよ?」
シンジは疑い深く私に問いかける。
「私も、その自分が何をしたか分からないの。」
シンジにアスカって呼ばれてからの出来事は、
あまり鮮明に覚えていない。
「ま、別にいいけどさ。」
「その、ごめんなさい。」
私は素直じゃないけど、一応謝ることにした。
私に抱きつかれて嫌がってるんだと思ったから。
「別に謝ることはないよ。
そ、その嬉しかったし。」
「へ? 今・・・」
「な、何も言ってないよ。
そろそろ戻らないとHR始まっちゃうし。」
シンジは足早に来た道を引き返して、
教室へと戻っていった。
「シンジ! 一緒に帰らない?」
私は放課後、掃除をしていたシンジに声をかけた。
「え、あ、掃除終るまで待っててくれないかな。
すぐに終らすからさ。」
シンジは急いで雑巾を絞りに水道場へ行った。
「私はシンジの事が好きなのかな?」
不意に思った事。
私はシンジの事が好きなのか?
小さい頃から好きな人にだけ、
アスカって呼んでもらうことは決めていた。
じゃあ、私はシンジの事が好き・・・なのかな。
でも、私は自信を持ってシンジに好きって言えない。
相手に振られることも怖いし、それに、
中途半端な気持ちを伝えるわけにはいかないし。
「・・・カ、・・・スカ、アスカ!」
「ん?へェッ?」
私の目の前にシンジの顔がある。
私は何をしてるんだろう?
「アスカ? どうしたの? 何か考えこんでたみたいだけど。」
「べ、別に何もないわよ。それより掃除終った?」
「あ、一応ね。じゃ、帰ろっか?」
シンジは私に微笑みかける。
私はこの微笑みをいつまでもみたい。
独り占めにしたい。
シンジを自分だけのものにしたいって思う。
やっぱり私はシンジの事が好きなんだ。
「アスカ? さっきから何か変じゃない?」
「シンジ・・・私の事どう思う?」
考えることより、先に口が動いた。
「どうってどういうこと?」
シンジは鈍感。どう思うって言われたら、
好きかどうかって事なのに。
「だ・か・ら。私の事、その、す、好き?」
「好きだよ。アスカの事。」
シンジの顔は耳まで赤く染めている。
きっと私もシンジと同じように赤くなってるんだろうな。
「わぁッ!」
私は今朝と同じように、シンジの胸に飛び込んだ。
今回は自分の意志で。
「私もシンジの事好き・・・。」
ふと私の腰にシンジの手が触れる。
気づいた頃には両手で抱きしめられていた。
「アスカ・・・今から僕達は恋人ってことだよね?」
「うん、シンジは私だけのものよ(はあと)。」
何か信じられないな。
初めて喋ってから数日でこんなに好きになるなんて。
シンジも同じこと思ってるんだろうな。
「シンジ・・・なんか不思議だと思わない?」
「僕が好きになったこと?」
シンジは鈍感だなやっぱり。
でも、そんなとこも好きなんだけどね。
「ちょっと違うかな。私達が数日でこんな関係になったこと。」
「そうだね。でも、運命ってことなんじゃないの?
運命って言葉だったら簡単に説明がつくよ。」
"運命"
確かに私達がこうして恋人の関係になることが、
運命なら簡単に説明がつく。
遅かれ早かれ私達はお互いに惹かれあうのが運命だったんだろう。
でも、運命がシンジと恋人になることとは違ってても
私はシンジに惹かれるだろうって自信はある。
だって私の好きな人はシンジ、碇シンジだけ。
この世に私の好きな人はシンジ以外にいないもの。
私は感謝する。
シンジと恋人になれたことに感謝するんじゃない。
私の直近くにシンジがいたことに。
私が生きている間にシンジが生まれてきたことに。
「アスカ。帰ろうか。」
「そうね。早く帰ろ。」
私はシンジの腕に手を絡める。
「アスカ? 何でそんなニコニコしてるの?」
「何でもない。ただシンジと出会った頃を思い出してただけ。」
私は惣流・アスカ・ラングレー。
私のお腹の中にはシンジと私の愛の結晶がある。
来月、お腹にいる子供が生まれる予定だ。
「そっか。あの頃は中学生だっけ?
8年ぐらい前になるんだね。」
「そうよ。私とシンジが恋人になったときのこと。」
「僕達の関係って運命だったのかな?」
「アンタバカぁ? 私は運命だなんて思ってないわよ。
そんな一言でシンジと私の関係を片付けたくないもの。」